2005/9/20
パトリック・ヴィエイラについて考える
〜ユベントス移籍で何が変わったか〜

 7月15日、かねてから噂されていたパトリック・ヴィエイラ(Patrick Vieira)の移籍が現実になりました。移籍先はかねてから噂のあったレアル・マドリードではなくユベントス。まさかチームキャプテンを手放すとは思いませんでしたが、本人はそろそろ環境を変えたくなったのかもしれません。ヴィエイラがアーセナルへやってきたのは1996年8月のこと。ACミランで出番のなかった20歳の若者がロンドンにやって来て約10年が経っていました。

 ヴィエイラは、ヴェンゲル監督の期待どおりアーセナルの中盤の核となり、クラブをヨーロッパ屈指の強豪へと押し上げる中核を担いました。この間、フランス代表へ選出され、ヨーロッパチャンピオンにもなりました(EURO2000)。そして、アーセナルの顔だったイングランド代表GKシーマンからチームキャプテンを引き継ぎ、プレミアリーグも制覇。文字どおり、クラブの顔になったわけです。

 おおまかなプロフィールを紹介したところで、今回はヴィエイラのプレーの特徴に触れつつ、アーセナルとユベントスでのプレーの違いについて考えてみたいと思います。

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(1) 守備力

 ボランチの理想は、「ボールを触らず、特定選手をマークせず、相手に中盤センターを使わせないような存在感があること」。ヴィエイラにはその存在感があります。では、その存在感を支えているものは何でしょうか。

 まずは体格。画面で見るとヒョロッとしている印象を受けますが、192cm、82kgと中盤センターでこれだけの大型選手は珍しい。非常に恵まれていると言えるでしょう。
 しかし彼は、スピードで勝負するタイプでも、運動量で勝負するタイプでもありません。
 彼を支えているもの。それは異常なまでの読みの良さ、そして的確なポジショニングです。

 ボランチに必要な守備能力は、大きく分けて2つあります。
 まず「1対1」の守備能力。中盤センターを使う相手選手をマークし、マークしている相手にパスが来ればインターセプトを狙うか、ボールが渡った時には前を向かせず攻撃を遅らせます。これは守備の基本中の基本です。

 そして、もう一つの能力が「ゾーンを守る感覚(センス)」です。
 中盤センターにできるスペースは、どのチームも使いたいエリアです。ここを使えば、FWへのスルーパスや直接ゴールを決めるなど、ゴールに直結するプレーができるからです。
 しかし、相手選手が侵入できるスペースを消し、パスコースをふさぐようなポジションを取っている選手がいれば、相手はそのスペースを使えません。レベルが高くなればなるほど、冷静な判断ができればできるほど、中盤にスペースがあるかどうか判断できます。そして、そのスペースをふさいでいる選手がいれば、当然攻撃は仕掛けてこないわけです。

 ヴィエイラの良さは、相手がどういう攻撃を仕掛けてくるか、どのスペースを使いたいかいち早く察知し、相手が一番使いたいスペースにポジションを取っていることです。当然、相手はヴィエイラが埋めているスペースを避けるしかありません。
 ヴィエイラのポジショニングの上手さはなかなか画面では分かりませんが、「ヴィエイラの所に、ボールが行かないなぁ」と感じた時、最も彼らしいプレーをしていると言えるでしょう。確認してみてください。

 最後に。ヴィエイラがファールしてしまうパターンがあります。それは、スピードのあるドリブラーが彼目掛けて突っ込んでくるケースです。
 スライディングで止めようとして、足を引っかけてイエローカード…こんなことがよくあります。そう、彼の弱点はスピードと瞬発力なのです。スピードのある選手との1対1はあまり得意ではありません。だからこそ、そうならないように、読みとポジショニングで存在感を示せる選手になったと言えるのですが。

 いずれにせよ、ヴィエイラの守備能力の高さは、一見しても分からない部分に隠されています。それが分かるようになると、ちょっとサッカーに詳しくなったような気がします(笑)

参考1)ヴィエイラの守備エリア


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(2) 攻撃力


 彼は、ロイ・キーンとプレースタイルが似ています。ゲームの流れを見ながら、展開を落ち着かせた方がいい時には攻撃を急がず一呼吸置けるようテンポを緩め、チャンスの時には攻撃のキーになる味方へ素早くボールを渡します。

 キーンに似ているのは、プレースタイルだけではありません。実は、2人ともキックがそれほど上手くありません。ほとんどのパスはインサイドキックかインフロントキックです。決してテクニックで魅せるタイプではないのです。
 この2人に共通するのは、味方が困ってしまうような難しいパスは出さないこと(弱いパスを出して、相手に奪われることもありますが…)。ほとんどがグラウンダーのショートパスかミドルパスで、味方が受けやすいパスを出そうとするのが特徴です。

 2人の違いと言えば、ワンタッチでパスを出すかどうか。ヴィエイラの場合、足下にボールを止めてからパスを出します。
 だからと言って、ボールを持ち過ぎることはありません。近くにいるフリーの味方へ簡単にパスを出します。相手選手にプレッシャーをかけられた時には、必ずボールと相手選手の間に体を入れて、しっかりボールをキープできます。簡単に奪われることはありません(警戒していない時、ボールを止めた瞬間を狙われることがたまにあるくらいです)。恵まれた体格は、ボールキープにも生かされています。

 パスを出した後には、必ずリターンパスをもらえるようなポジションを取る気配りを欠かしません。相手がプレッシャーをかけにくいポジションを取り、パスの中継地点になるのです。そういう意味では、マイボールをキープすることでイニシアティブを取りたいチームには必要な選手だと言えるでしょう。

 彼は、ある意味でゲームメーカーですが、ゴールに直結するような攻撃センスのある選手ではありません。彼の持ち味は、攻撃力のある味方が気持ちよく攻撃を仕掛けられるよう、小気味よくパスをつなぐことです。
 パスのレンジは広くありませんが、やることが分かりやすいだけに、味方にとっては安心してボールを持たせることができるし、次にどんなプレーをすればいいか悟らせることのできる選手と言えます。

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(3) アーセナルとユベントスで何が変わったか

 アーセナルの攻撃のほとんどは、サイドにボールが入ってからスタートします。FWがくさびを受けてから攻撃を展開するというプレーは、他チームに比べて少ないのが特徴です。

参考2)アーセナルのフォーメーション

 これはアーセナルの攻撃スタイルです。FW陣がポストプレーを苦手にしているというわけではありません。
 アーセナルの中盤の構成を見ても、サイド攻撃を狙っているのはよく分かります。サイドにドリブルが得意だったり、テクニックを売りにしているような攻撃力のある選手を配置している一方、センターに配置するMF2人はマイボールをキープし、ボールを散らせるバランサータイプがほとんどです。前線に走り込んでゴールを狙うようなタイプをセンターのポジションに置いていないわけですから、アーセナルがサイド攻撃を主体にしたチームと言えるわけです。

 攻撃スタイルの他にもう一つ、サイド攻撃を多用する理由があります。それは、アーセナルがFWアンリ中心のチームだということです。毎シーズン20ゴール前後を記録し、アシスト役としてもチームの勝利に貢献するアンリは、いわばアーセナルの「打ち出の小槌」。アンリにボールが渡らないとゴールチャンスを演出できないのがアーセナルのアキレス腱です。
 アンリが得意とするのはセンターよりもサイド寄りのプレー。特に、左サイドは得意なゾーンです。右足でボールを持ち、ペナルティエリアへドリブルで突っかけながら狙いすましてシュート…。このパターンから数々のゴールを決めてきました。

 アンリはこの得意なゾーンでボールを受けようとしますが、マークはきつくなります。そう簡単にパスは受けられません。
 ヴィエイラはワンタッチでパスを出さないと前述しましたが、対戦相手はその特徴をよく分かっています。だから、ヴィエイラがボールを持った瞬間、アンリへのパスコースを素早くふさいでしまいます。プロのレベルなら、一瞬ボールを持っただけでも、十分にポジション修正ができるわけです。
 ヴィエイラからアンリへのホットラインが機能することは、90分間を通じて数回。これがいつものパターンでした。

 ヴィエイラは冷静な選手です。インターセプトされそうなパスを出すといったギャンブルはしません。必然的に、フリーでボールを受けられるポジションを取っているサイドの選手へパスを散らすことが多くなります。
 ヴィエイラがFWへタテパスを入れるのは、あらかじめパスコースが見えていたか、相手のプレッシャーがなく余裕のある時か、アンリがマークされて攻撃の糸口が見つからない時に限られます。いずれにせよ、ゴールにつながるような攻撃的なパスは少なかったと言えます。

参考3)アーセナルでのヴィエイラのパス方向


 ユベントスではどうでしょうか。
 まず、アーセナルでは少なかったFWへのくさびというパスの選択肢が増えました。イブラヒモビッチやトレゼゲは、センターでくさびを受けますし、中盤まで下がってボールを受けに来ることもあります。
 サイドハーフが縦横無尽に動くのも、ヴィエイラにとっては好都合でした。ネドベドやカモラネージのように、サイドだけでなく、スペースがあれば中盤センターにも入ってくるサイドハーフがいるので、パスコースが増えたのです。元々近くにいる味方を素早く使うのが得意な選手なので、パスをもらいに来てくれるのはありがたいわけです。
 中盤センターでコンビを組むエメルソンは積極的に攻撃参加します。当然、相手の目はエメルソンに向けられ、ヴィエイラは相手のマークからフリーになることが多くなりました。

参考4)ユベントスのフォーメーション
参考5)ユベントスでのヴィエイラのパス方向


 アーセナルが合っていなかったというわけではありません。ヴィエイラの存在は、アーセナルのプレミアリーグ制覇には欠かせないものでしたし、ヨーロッパの強豪クラブへと押し上げる原動力にもなりました。
 しかし、数試合を見ただけではあるものの、ユベントスでのヴィエイラはアーセナルでのプレー以上にその存在感が際立っている気がします。これは、パスの選択肢が増え、自分のリズムでボールを持てるようになったからだと思います。

 この変化は、セリエAとプレミアリーグというリーグの違いから生まれたのかもしれません。イタリアでは前線からプレッシャーをかけるようなことはせず、実力差があればあるほど、引いて守ろうとします。その点、イングランドは実力差に関係なく、下位チームでも果敢にプレッシャーをかけ、アグレッシブに戦います。
 ヴィエイラにとって、自陣内でプレッシャーをかけられることの少ないセリエAは、自分のリズムでプレーできる場所のような気がします。結論を出すのはまだ早いですが、移籍決定の1ヶ月後にこれだけチームに溶け込んでいる姿を見ると、この移籍は成功と言っておきます。
 心配なのはケガだけでしょう。物事がうまく行っている時ほど、落とし穴は近くに忍び寄っていたりします。